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    1 名前:禿の月φ ★:2011/09/24(土) 07:12:10.00 ID:???P
    「仙台いちご」の産地として知られる宮城県亘理町と山元町。
    東日本大震災の津波でイチゴ畑の95%が浸水したが、被災農家の2割に当たる79戸が再開を決めた。
    クリスマスで需要が高まる12月の出荷を目指し、ビニールハウスを建て直した農家は今月下旬から、苗の植え付けを始めた。

     両町のイチゴは、宮城県の野菜生産額270億円(2009年)のうち最も多い2割を占める。
    豊富な地下水と水はけの良い土壌を生かし、昭和初期から栽培が続いた。
    しかし、震災でイチゴ農家は、380戸のうち356戸が被害を受けた。

     亘理町の丸子忠志さん(59)は、イチゴ栽培用のハウス16棟が全て流された。
    長男裕人さん(32)は震災後、北海道伊達市に移り、イチゴ作りを続けている。
    「いずれ戻ってくる息子のためにもここでやめられない」。
    34年間生産を続けた忠志さんは、新たな借金を覚悟し再開を決意した。
    元の場所に6棟のハウスを再建。がれき撤去や苗の水やりを支援したボランティアは、延べ500人を超える。
     
     イチゴは塩分に弱く、浸水した土壌では育てるのが難しい。忠志さんは土耕栽培を諦め、
    組んだパイプの上に苗床を作る高設栽培に切り替えて土も新たに購入した。
    6列だった苗床は4列に減ったが、費用は倍以上になった。

     地下水の塩分濃度も高いままで、当面は水道水を使う。町は水道料金の値下げを決めたが、
    忠志さんはコストを減らすため、雨水をためる貯水槽を作ることも考えている。
    「クリスマス向けの出荷には間に合いそうだ」。忠志さんは安堵(あんど)の表情を見せた。
    今期の出荷量は震災前の3分の1にとどまる見通しだが、順調に進めば11月下旬には収穫できるという。
    整然と並ぶ苗を前に「ここまでこぎつけられると思わなかったなあ」と感慨深げに話した。(2011/09/24-05:27)

    ソース:時事ドットコム
    http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011092400052







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    1 名前:かしわ餅φ ★:2011/07/25(月) 15:42:10.00 ID:???0
    東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市で、多くの住民が職を失い、先の見えない
    生活を送っている。雇用の7割を支えるといわれた水産業が津波で壊滅し、離職者が激増したことが
    響いた。5月の有効求人倍率は県内最悪の0.17倍。雇用不安が広がる港町で、苦境にあえぐ
    人々の声を拾った。
    (神田一道)

     「まるでホームレス。職がないのは本当にみじめだ」
     気仙沼市の気仙沼公共職業安定所。7月下旬、10人ほどが順番待ちをするロビーの一角で、
    相談に訪れた同市の男性(45)は苦しい身の上を明かした。

     元水産加工会社の営業マン。約20年間勤めた会社は津波で全壊し、男性を含む社員約100人は
    あっけなく解雇された。

     父母と妻、子どもの6人の生活を支えるのは月十数万円の失業保険だけ。4カ月も仕事に就けない
    現状に不安を募らせる。「無職状態が続き、うつ病になった仲間もいる。えり好みもできないので、
    どんな仕事でもやりたい」

     掲示板の求人票に目を凝らしていた別の同市の男性(40)は、約20年間勤務した海産物専門の
    運送会社を3月末に首になった。

     運送業で働きたいが、関連する求人はほとんどない。「がれき撤去の仕事ばかりで、おまけに給料も
    少ない。とても応募する気にはなれない」。希望の仕事は見つからず、寂しく去った。

     気仙沼は震災前まで、雇用環境が堅調だった。リーマンショックで日本の労働市場が収縮した
    2009年度も、気仙沼の有効求人倍率は県内10カ所の安定所・出張所で3番目の0.42倍。
    10年8月には0.53倍で、トップだった。

    河北新報 東北のニュース/気仙沼、雇用どん底 水産業壊滅で求人倍率県内最悪
    http://www.kahoku.co.jp/news/2011/07/20110724t12014.htm

    2 名前:かしわ餅φ ★:2011/07/25(月) 15:42:21.36 ID:???0
    景気に左右されない水産関係が主産業だったことが幸いしたが、震災で漁港に隣接する工場が
    軒並み壊滅。関連する運送業も仕事が激減し苦境に立つ。企業は従業員をリストラしたため、4、5月の
    失業保険の受給手続きは前年同期の19倍の5640件に上った。

     気仙沼公共職業安定所の太田博統括職業指導官は「求職者が増加する一方で、被災した企業は求人を
    控えている。ミスマッチを解消するためには、震災の影響が小さい市外や県外の企業の紹介にも力を
    入れるほかない」と困惑する。

     気仙沼市も対策に動く。5月、国の緊急雇用創出基金事業などを活用し、高齢者の見守り活動や市役所の
    窓口業務の補助など91事業と758人分の雇用を年度内に創出する方針を打ち出した。

     市商工課は「当面は緊急事業で雇用を維持し、求職者に生活を立て直してもらう。同時に仮設店舗の
    建設も促し、恒久的な雇用の確保に努める」と話している。



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    1 名前:道民φ ★:2011/06/20(月) 12:19:37.93 ID:???0

    宮城・松島町の2児水死「ため池にフェンスがあれば…」 周辺に注意促す看板もなく 

      宮城県松島町幡谷の松島第5小6年、佐藤公亮君(11)と保育園児、目々沢美昭君(5)がため池で死亡した事故で、
      ため池の周りには、フェンスや注意を促す看板がなかったことが19日、分かった。
      県警塩釜署は水遊び中の事故とみて調べるとともに、ため池の管理者の特定も進めている。

      住宅地から1キロほど離れた農道の奥にあるため池の周りには、フェンスや注意を促す看板はなく、
      誰でも容易に入れる状態だった。目々沢君の母親は
      「フェンスや看板さえあれば、あんなことにはならなかったかもしれない。悔しいです」と話した。

      ため池は地元の子供たちに「ザリガニやカエルが取れる池」として知られ、
      佐藤君は1週間ほど前にも別の児童とオタマジャクシを取りに来ていたという。

      近所の人などによると、佐藤君と目々沢君はともに共働きの両親を持つ一人っ子。
      家が隣同士で同級生も近くにいないため、2人でよく遊んでいたという。

      佐藤君の同級生の角田真綾さん(11)は「公亮君は行き先も決めずに遠くに行くことがあったから心配はしていた」と話した。
      毎週水曜日の和太鼓のレッスンではバチを鬼の角に見立てておどけてみせるなど、気さくな子だったという。
      「修学旅行も学習発表会もまだなのに…お線香は悲しくて上げられない」と話し、家に帰った。

      2人と一緒に遊んでいた小学1年の男児(6)もおぼれたが、自力で逃げて無事だった。
      男児の母親は「びしょぬれで帰ってきて何も話せない状態だった。うちの子だけ助かって申し訳ない」と打ち明けた。

      孫が佐藤君や目々沢君とよく遊んでいたという同町の会社員、川住雅彦さん(54)は
      「美昭君は元気で、孫がいなくてもうちの庭で遊んだりしていた。もう遊べなくなると思うと…」と声を詰まらせた。

    産経新聞 2011.6.20 11:59
    http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110620/dst11062012090016-n1.htm



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    1 名前:◆TOFU75Z77Q @甘味処「冷奴」φ ★:2011/06/13(月) 15:10:13.55 ID:???0 BE:2909650368-2BP(1111)
    東日本大震災で全校児童の約7割にあたる74人が死亡・行方不明になった宮城県石巻市立大川小学校で、
    地震発生から児童らが津波にのまれるまでの詳細な状況が13日、市教委や助かった児童の保護者らへの取材で明らかになった。

     学校側が、具体的な避難場所を決めていなかったことや、教諭らの危機意識の薄さから避難が遅れ、
    さらに避難先の判断も誤るなど、様々な〈ミスの連鎖〉が悲劇を招いた。

     市教委の調査などによると、3月11日午後2時46分の地震発生時は、児童は下校中か、「帰りの会」の途中だった。
    校舎内の児童は教師の指示で校庭に集合し、学年ごとに整列した。下校中の児童もほとんどが学校に戻った。

     午後3時頃、点呼を終えると、教頭と数人の教諭が桜の木の下で、「山へ逃げるか」「この揺れでは木が倒れるので駄目だ」などと話し合っていた。
    学校の津波の際の避難マニュアルは避難場所について「高台」としていただけで、具体的な場所を記していなかった。

     ただ、津波被害を受けた周辺の5小中学校のうち、1校には避難マニュアルがなく、作成していた4校のうち1校は避難場所を「校庭」としていた。

    ソース 2011年6月13日14時55分 読売新聞
    http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110613-OYT1T00508.htm?from=top

    続きます

    2 名前:◆TOFU75Z77Q @甘味処「冷奴」φ ★:2011/06/13(月) 15:10:30.80 ID:???0 BE:909265853-2BP(1111)
    >>1の続き

     一方、防災無線からは大津波警報が鳴り、避難を呼びかける声が響いていた。余震が続き、泣き出したり、嘔吐したりする子もいた。
    保護者らが相次いで児童を迎えに訪れ、教諭は対応にも追われた。
    「ここって海岸沿いなの」と不安がる女子児童や、「死んでたまるか」と口にする男子児童もいて、騒然とした雰囲気になった。

     当時6年生の女児を連れ帰った母親(44)によると、母親が担任に「大津波が来る」と慌てて伝えた際、
    担任は「お母さん、落ち着いてください」と話した。しかし、すぐに避難する様子はなく、「危機感がないようだった」という。
    暖を取るため、たき火をしようとした教諭もいたとの証言もあったが、市教委は確認できなかったとしている。

     市教委の調査では、その後、市の広報車から「津波が松林を越えてきた。高台に避難してください」と呼びかける声が聞こえた。
    教諭と、この時も、集まった地域住民の間で「山へ逃げた方がいい」「山は崩れないのか」などのやり取りがあった。
    結局、約200メートル先の北上川堤防付近にあり、堤防とほぼ同じ高さ6〜7メートルの高台に避難することになった。

     避難を始めたのは地震から約40分後の午後3時25分頃。
    約10分後の午後3時37分頃、6年生を先頭に、学校の裏手から北上川沿いの県道に出ようとしたところで波が襲い、高台ものまれた。

     児童68人、教職員9人の死亡が確認され、児童6人、教諭1人が行方不明のままだ。

     市教委は
    「教諭らが当時、『地割れや山崩れ、倒木の恐れがあり、山は登れない』と判断したとみられる」と説明するが、
     地震の揺れによる倒木は確認されていない。保護者からは「最初から裏山に避難していれば、多くの命が助かっていたはずだ」と、
    当時の対応への批判が上がっている。
    (石塚人生)

    ここまで



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    1 名前:かじてつ!ρ ★:2011/06/05(日) 01:07:43.30 ID:???P
    ○仮設住宅 当選の7割入居せず

    津波で大きな被害を受けた宮城県南三陸町で、町内の仮設住宅に当選した世帯のおよそ
    70%が、実際には入居していないことが町の調査で分かりました。入居すると食料や物資の
    支給が打ち切られるため、避難所などで生活しているとみられ、町は説明会を開いて、
    1週間以内に入居しなければ部屋を明け渡してほしいと求めることにしています。

    南三陸町ではおよそ2000世帯が仮設住宅への入居を申し込んでいますが、用地の確保が
    難しく、着工できたのは50%余りにとどまっています。このため、入居は抽せんで決められて
    いて、これまでに町内に完成した仮設住宅では、およそ300世帯が当選して鍵が渡されました。
    ところが、3週間以上が過ぎた今も、およそ70%にあたる200世帯ほどが、実際には入居して
    いないことが町の調査で分かりました。中には、荷物を運び入れただけで生活していない住民や、
    鍵を受け取っただけで住宅に行ってさえいない住民もいるということです。町は、仮設住宅に
    移ると食料や物資の支給が打ち切られることや、光熱費などを負担しなければならないため、
    避難所などで生活を続けている住民が多いとみています。こうした事態に、入居できなかった
    住民から「自分たちに譲ってほしい」という不満の声が上がっていることから、町は5日にも
    当選者を集めた説明会を開き、1週間以内に入居しなければ部屋を明け渡してほしいと求める
    ことにしています。南三陸町の遠藤健治副町長は「仮設住宅に入居するということは自立する
    ということ。食材等の確保も自分でやらないといけないので、不安になるのだと思う。義援金の
    配分などで不安を解消していきたい」と話しています。

    □ソース:NHK
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110604/t10013319241000.html

    166 名前:かじてつ!ρ ★:2011/06/05(日) 01:36:42.62 ID:???P
    >>145
    よく分かりませんが
    あなたのことを忘れないように登録しておきますね。



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    1 名前:かじてつ!ρ ★:2011/05/26(木) 09:30:17.75 ID:???P
    ○屋上乗り上げたバス、後世へ…宮城大教授ら提案

    宮城大の三橋勇教授(観光学)らの調査チームが25日、2階建ての建物の屋上に
    大型バスが乗り上げたままとなっている宮城県石巻市立雄勝公民館を、被害を
    後世に伝える「防災モニュメント」として現在のまま残すように同市などに提案した。

    高さ約12メートルの同公民館では、現在も屋上にバスが乗り上げたまま。街を
    壊滅させた津波の大きさを物語っており、三橋教授らは、「一部を保存し、津波の
    痕跡を伝える施設にすべき」と調査チームを結成した。

    この日、メンバーらは同公民館を訪れ、石巻市や復興を考える地元の住民団体の
    代表者らと意見交換。三橋教授は、「まだ大変な状況だが、津波の痕跡を残すことを
    検討してほしい」と提案。同教授らは、骨組みだけになった南三陸町防災対策庁舎
    なども候補として検討しているという。

    ☆写真:バスが乗ったままの公民館(25日、石巻市雄勝町で)
    http://www.yomiuri.co.jp/photo/20110526-150185-1-L.jpg


    □ソース:読売新聞
    http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110526-OYT1T00080.htm



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