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    東日本大震災

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    1 名前:かなえφ ★:2011/09/18(日) 22:21:28.05 ID:???0
    文化財の保護か、被災者の生活か。東日本大震災で津波の被害を受けた岩手県沿岸部の高台にある遺跡を
    めぐって、議論が起きている。高台が少なく、移転候補地になり得るが、利用に厳しい規制があるためだ。「本来
    なら貴重な文化遺産なのに」「規制緩和してほしい」。地域の誇りとなるはずの遺跡に、人々の思いは揺れている。

     「史跡ってのは、命より大切なのか」。9月中旬、岩手県大船渡市蛸ノ浦地区で開かれた復興住民会議で住民が
    声を上げた。

     同地区は約50世帯が津波で被災。20世帯以上が、地区の高台にある国指定史跡「蛸(たこ)ノ浦貝塚」への
    集団移転を求めていた。史跡の地権者も15人中7人が家を失った。

     蛸ノ浦貝塚は標高約35メートルの丘に広がる。約5万5千平方メートルが国の史跡に指定され、縄文時代の
    土器や人骨、住居跡などが大量に出土。貝層の厚さは最大2メートル以上あり、規模と保存状態の良さから日本
    屈指の大貝塚として知られる。

     国指定史跡は文化財保護法で土地利用が厳しく制限され、開発には文化庁長官の許可が必要となる。そもそも
    長期間の保護が目的で、「住居の移転は原則として認められない」(文化庁)という。

     大船渡市も復興住民会議で、「貴重な文化財を守るという国の見解を尊重する」との姿勢を崩さず、「史跡の一部
    だけでも規制緩和はできないか」と訴える住民との溝は埋まらなかった。
    ※続きます。

    産経msnニュース 2011.9.18 22:09
    http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110918/dst11091822110020-n1.htm
    ▽大船渡湾を臨む高台に広がる国指定史跡「蛸ノ浦貝塚」(画像)
    http://sankei.jp.msn.com/images/news/110918/dst11091822110020-p1.jpg


    2 名前:かなえφ ★:2011/09/18(日) 22:22:12.62 ID:???0
    ※続きです。
    ◆価値があるなんて

     住民が移転を求める背景には、史跡の価値への相違もある。

     「そんなに価値のある史跡だなんて初めて知った」。蛸ノ浦地区の仮設住宅で暮らす主婦(66)は首をかしげる。
    蛸ノ浦貝塚には、史跡を説明する看板こそあれ、荒れ放題。訪れる人もまれで、普段は住民もほとんど意識して
    いなかった。

     6月には、規制緩和を求める要望書が地権者から大船渡市に提出された。地権者の一人、志田賢太郎さん(82)は
    「禍根を残せば、貝塚がいくら国の宝でも、 “良い宝”にはなりにくい。早く具体的な移転候補地を示し、被災者を安心
    させることが大切だ」と複雑な胸中を吐露する。

    ◆スピード調査

     高台移転のために、遺跡の発掘調査に追われる自治体もある。

     沿岸部の高台を中心に、縄文時代の住居跡など640カ所もの遺跡が確認されている岩手県宮古市。高台移転を
    希望する被災者から開発の届け出が相次ぐ。

     文化財保護法では、遺跡を開発する場合、事前に調査員が発掘調査を行い、記録を残さなければならない。宮古市は
    調査員を増員し、9月からは岩手県から緊急派遣された調査班が発掘を手伝うなどして、届け出があったうち約半数の
    調査を終えた。

     宮古市教育委員会の高橋憲太郎さん(52)は「遺跡が『復興の壁』とは思ってほしくない。今を生きる人の生活が何より
    大切だから、全力でスピードアップを図る」と話す。

     文化庁は発掘調査を簡略化するよう指導したほか、調査費用の補助金の増額や適用範囲の拡大などの支援策を検討。
    今後見込まれる調査員の人手不足についても、「速やかに対応できるよう努力する」と話している。

    産経msnニュース 2011.9.18 22:09
    http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110918/dst11091822110020-n1.htm



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    1 名前:春デブリφ ★:2011/09/04(日) 11:32:45.89 ID:???0
    ★震災で水没のF2戦闘機6機、修理し継続使用

     防衛省は、東日本大震災による津波で水没した航空自衛隊松島基地(宮城県)のF2
    戦闘機全18機のうち、6機を修理して継続使用する方針を固めた。

     同省は18機について、修理して引き続き使えるかどうか、分解検査などの調査を行
    った。垂直尾翼やエンジンの一部などそのまま使える部品があったが、電子機器などは
    海水の塩分が入り込み、使えなくなっていることが分かった。

     F2は国内での生産が今年度中に終わる予定で、新規調達はできない。しかし、同基
    地のF2は空自のパイロット育成用として使用され、同省は一定の機数を確保しなけれ
    ば、育成計画に支障が出ると判断。使用可能な部品を組み合わせるなどして6機を修理
    し、引き続き使うことにした。修理に必要な費用は約1150億円と見込まれる。
    (2011年9月4日10時27分 読売新聞)
    http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110903-OYT1T00757.htm



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    1 名前:ラストボーイスカウト@空挺ラッコさん部隊ρ ★:2011/09/01(木) 19:55:18.26 ID:???0
    海外から輸入したミネラルウォーターが市場でダブ付き、500ミリリットルサイズで
    20円台など「投げ売り」が始まっている。東日本大震災による買い溜めの影響でメーカーや
    小売店が大量に緊急輸入したが、水不足の混乱が収まったことで大量に在庫が残って
    しまったからだ。政府は震災時の緊急措置として、輸入したミネラルウォーターの容器が
    外国語表記のままでも販売を認めていたが、その措置は11年8月15日に廃止。業界では
    当該商品が販売できるのは10月末までとなっていると受け止めており、在庫処分が加速
    しているのだという。

     ネットで破格値、緊急輸入も打ち止め
    インターネット販売大手ケンコーコムは2011年8月30日、ミネラルウォーターの過剰在庫を
    抱えてしまったため、特定の商品を大幅に値引きし販売していると発表した。東日本大震災後に
    急増したミネラルウォーター需要に対応するため調達したものの、その後、需要が急速に
    落ち着いてしまった。同社の場合、海外からの並行輸入品が多く、ネットでは現在、ア
    メリカの水「クリスタルガイザー」は500ミリリットル48本パックが税込み1290円で売られている。
    自販機では1本110円で売られている商品だ。新聞のチラシには、ペプシコ社が米国で製造した
    「アクアフィーナ」が500ミリリットル24本パックで税込み600円、というものがあった。
    希望小売価格は1本98円の商品である。

     この商品はサントリーがペプシコ社を通じ5月下旬に80万ケースを緊急輸入。夏場に向け
    300万ケースの輸入を計画していたものだ。サントリー広報によると、震災の影響による
    ミネラルウォーター需要が落ち着いたことで、輸入は最初の80万ケースで打ち止めにしたという。
    小売り価格が大幅に下がっていることについて、「(サントリーとしては)希望小売価格は
    下げてはいない」としたうえで、市場全体のミネラルウォーター需要が安定したためではないか、
    と話している。
    >>2以降に続く
    ソース:http://www.j-cast.com/2011/09/01106037.html

    2 名前:ラストボーイスカウト@空挺ラッコさん部隊ρ ★:2011/09/01(木) 19:55:37.38 ID:???0
    >>1の続き
     規制緩和廃止で10月に販売期限が切れる
    日本ミネラルウォーター協会によれば、震災以降ペットボトル入りのミネラルウォーターが
    品不足になり、生産を増やしても追いつかない状態が続いたため、業界の一部は海外のミネラル
    ウォーターの輸入に走った。政府が3月下旬に緊急時の規制緩和策として、海外から輸入した
    ペットボトル入りのミネラルウォーターについて、外国語表記そのままでも販売できるように
    規制緩和したことで、一層輸入が加速した。ところが、需要が一巡、輸入ミネラルウォーターが
    だぶつくことになってしまったのだという。現在「投げ売り」のような状態になっている点については

    「在庫を抱えた店が多いだけではなく、規制緩和が8月15日で廃止になり、10月いっぱいまでしか
    販売できない輸入のミネラルウォーターがあるため、焦って売り始めた、ということではないでしょうか」
    と日本ミネラルウォーター協会では分析している。

     農水省や消費者庁に問い合わせたところ、規制緩和の廃止前に契約を結び、10月31日までに
    製造や輸入が行われた商品については、引き続き外国語表記のままで販売を行えるとしている。
    とはいえ「10月.末」が一つの節目になっているので、業界では「売り急ぎ」の機運が高まって
    いるのかもしれない。(終わり)



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    1 名前:禿の月φ ★:2011/08/14(日) 13:20:35.50 ID:???P
    東日本大震災で肉親などを失った被災者が、死者の霊を呼び出してその意思を告げるという
    イタコの口寄せを依頼する例が目立っている。青森県むつ市の恐山などで遺族の思いを聞くと、
    親しい関係を突然断ち切られた喪失感を埋めたいという思いが強いようだ。

     日本三大霊場の一つ、恐山菩提(ぼだい)寺では今年も7月20日から24日まで夏の大祭典が行われた。
    震災の影響で5日間の来場者は昨年の半分強の約1万3200人に減った。
    総門脇に並ぶ口寄せ小屋の前の順番待ちの行列も例年の半分ほどだが、それでも4〜5時間待ちは当たり前だという。
    何組もの被災者が、辛抱強く順番を待っていた。

     岩手県釜石市箱崎町の主婦金野幸子さん(55)は津波で流された夫正春さん(55)に「会いたくて」、
    長男広志さん(30)と次男貴志さん(27)と車で7時間かけてやってきた。3月11日の地震発生時、
    幸子さんは会社が休みだった夫と市内のドラッグストアで買い物中だった。正春さんは高台にある駐車場で
    「あとで迎えに来る」と幸子さんに言い残して、市街地の自宅にいる父(89)を助けに車で向かった。
    それが夫の最後の姿になった。

     遺体は6日後、海から300メートルほど内陸で見つかった。正春さんは父親を近くの高台に避難させたあと、
    副業で続けている漁師の小型漁船を守ろうと漁港に向かったようだ。後に見つかった車の中に漁船の充電器などがあった。
    >>2>>5あたりに続きます)

    ソース:asahi.com(朝日新聞社)
    http://www.asahi.com/national/update/0813/TKY201108120691.html
    画像:イタコの口寄せの順番を待つ人の列。早朝から並ぶ人も多いという=青森県むつ市の恐山
    http://www.asahi.com/national/update/0813/images/TKY201108120694.jpg

    青森県八戸市の口寄せの様子。依頼者(手前)が死者の名前と依頼者との関係、
    命日などを告げるとイタコが霊を呼び出すという
    http://www.asahi.com/national/update/0813/images/TKY201108120696.jpg

    口寄せを終えて、ホッとしたように並んで歩く金野幸子さんと息子2人
    http://www.asahi.com/national/update/0813/images/TKY201108120695.jpg




    2 名前:禿の月φ ★:2011/08/14(日) 13:20:55.64 ID:???P
    >>1からの続きです)
     「あの身軽な人がなんで助からなかったのか、どうしても聞いてみたかった」と幸子さん。
    イタコを通して正春さんは「こんなひどい津波が来るとは思わなかった。逃げ遅れた」と言ったという。
    「息子と行ってよかった。『仲良く暮らしてくれ、あの世から守るから』と言ってくれましたから」。
    肩の荷が下りたようだった。

     仙台市泉区に住む主婦阿部真弓さん(50)は口寄せが目玉の1泊2日のバスツアーで訪れた。
    宮城県石巻市雄勝町の実家が津波で流され、母親の佐藤やよゑさん(87)を失った。
    同居中の母が流されるのを目の前で見た姉(61)は、パニック状態のために来られなかった。
    濁流は二階天井近くまで達し、姉はカーテンレールにつかまって水面に首だけ出して生き延びたが、
    母を助けられなかったと自分を責めている。

     阿部さんは「母には成仏して下さいと伝えたくて。イタコさんからは
    『だれも恨んでいない。おれは運が悪かった』と母の言葉を伝え聞きました。
    姉が落ち着いたらもう一度来たい」と話す。

     八戸市では09年夏から、期間限定で、観光コンベンション協会の主催で、
    JR八戸駅ビルを会場に口寄せをしている。今年も6月初旬から始めると、7月から震災被災者が来始めた。

     岩手県宮古市山口の主婦中沢潤子さん(70)は同県田老町で商店を経営していた兄の榊清一さん(75)を津波で亡くした。
    宮古市内で葬儀店も経営し、息子2人に事業を任せ、人生の総仕上げを始めた矢先だった。
    兄は「津波にのまれて浮かんでは沈みを繰り返した。波の恐ろしさが分かった。家族をよろしく頼む」と後を託したという。
    「何も告げずにいってしまったので気持ちを聞きたかった。急にいなくなると、
    残された家族はいつまでもふっと帰ってくるような気がしてなりません」
    八戸駅での口寄せは13日から4日間も行われる。(川上眞)(了)




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    1 名前:かなえφ ★:2011/07/24(日) 23:21:41.82 ID:???0
    東日本大震災の被災地、宮城県亘理町で農家の森久義さん(80)と義仁さん(53)
    親子がイチゴ栽培再開に向け、ビニールハウスを建設している。同町はイチゴの産地で知られ、
    森さんは15棟あったハウスと田んぼを津波にのまれた。周囲は荒れ地が広がったままだ。

     塩害を避けるため、高さ1メートルの棚を組み、土の代わりにもみ殻などを敷いて苗を育てる
    高設栽培で挑戦する。「俺らがやれば、みんなも追っかけてくるんじゃねえかと思って」。クリスマスに
    向けて出荷を目指す。

    asahi.com 2011年7月24日8時50分
    http://www.asahi.com/national/update/0722/TKY201107220565.html
    ▽イチゴ栽培のためビニールハウスを建てる農家の森久義さん(左)と義仁さん親子(画像)
    http://www.asahi.com/national/update/0722/images/TKY201107220569.jpg




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    1 名前:ゴッドファッカーφ ★:2011/07/02(土) 22:19:55.78 ID:???0
    国道45号を挟んで、海岸から山手にかけて民家が建ち並ぶ岩手県釜石市嬉石(うれいし)地区。
    寝たきりの高齢者を助けようとした男性8人が津波にのまれ、その高齢者を含む4人が死亡・行方不明
    となった。「津波てんでんこ」の教訓を知っていながら救助に向かった生還者は「『てんでんこ』は
    やっぱりできない。ならばどうすれば良かったのか」と自問を続けている。

    ◇まだ年寄りが

    3月11日午後2時46分。市中心部で軽トラックを運転していた消防団員の佐々木俊介さん(52)は、
    激しい揺れに「大津波が来る」と直感した。ヘルメットと法被を身に着け約15キロ離れた自宅に戻ろう
    としたが大渋滞に遭い途中の嬉石地区にある義父宅へ向かった。

    義父と近所の高齢者を連れて一時避難場所の嬉石地区集会所にたどり着いたころ、時計は午後3時7分を
    示していた。集会所の人はまばら。ほとんどは、更に山手の市民交流センターへ逃げていた。

    「年寄りがまだ下にいるっけ、助けて」。そこに女性が駆け込んできた。津波は遅くとも30分後とみて
    いただけに「今から間に合うか」との思いがよぎったが、不安を振り切るように軽トラックに再び飛び乗った。

    >>2-10につづく)


    ▼毎日jp(毎日新聞) [2011年7月2日 19時33分(最終更新 7月2日 21時06分)]
    http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110703k0000m040026000c.html

    2 名前:ゴッドファッカーφ ★:2011/07/02(土) 22:20:09.30 ID:???0

    >>1のつづき)

    ◇布団ごと救出

    坂道を約250メートル下った民家の前で、知り合いの消防団員(49)らが待っていた。寝たきりの菊池ミエ
    さん(82)を義理の娘(52)が1人で抱えようとしたが持ち上がらず、助けを求めているという。町内会長の
    成沢幹雄さん(72)もいったん避難した後に駆けつけ、集まった男性は計8人となった。

    以前は雑貨店だった民家の正面はシャッターが下りていたため、成沢さんら4〜5人が1階裏口から寝室に
    入ると、オムツ姿のミエさんに娘がズボンをはかせようと手間取っていた。「そんなのいいから」。遮るように
    布団の四隅を総出で持ち上げた。外で待ちかまえていた男性2人がシャッターを開け、布団ごと軽トラックの
    荷台に積み、佐々木さんが急発進させた。


    「津波が来たぞ」。叫び声がしたのは、その瞬間だった。進行方向から白波を立てた山のような水の壁が
    迫っていた。「こっちさ入れ」。佐々木さんは消防団員の呼び掛けで、家屋の陰になる空き地に車を動かした。
    だが、あっという間に水にのまれ、車内に閉じこめられた。車体が水に浮いて右に傾いた瞬間、助手席側の
    ドアを開けて脱出できた。

    必死の思いで浮上し、目の前にあった家の屋根によじ登った。見渡すと家屋や電柱がごう音を立てながら
    濁流に押し倒され、もう軽トラックもミエさんの姿も見えなかった。

    一方、成沢さんは消防団員と一緒に山手へ走ったものの、すぐ津波に追いつかれた。しばらく小屋のへりに
    つかまって耐えたが、横殴りの波に打たれ2人は同時に手が離れた。成沢さんは偶然流れてきた大型の
    工具箱を盾にして、がれきをよけながら夢中で泳いだ。

    >>3-10につづく)

    3 名前:ゴッドファッカーφ ★:2011/07/02(土) 22:20:19.50 ID:???0

    >>2のつづき)

    ◇自主防災とは

    ミエさんと消防団員は現在も行方不明のまま。救助の際にシャッターを開けた男性2人は死亡した。
    「人間、助けてけろって頼まれたら絶対行く。『てんでんこ』はできないって今回よく分かった」。
    佐々木さんはうつむいた。

    成沢さんによると、町内会は4月1日、自主防災組織を発足させる予定だった。全365世帯を五つの
    ブロックに分け、1人で避難できない高齢者を手助けする段取りを詰めていた。それも津波で保留となった。

    今は避難所となった市民交流センターで運営を取り仕切っている成沢さん。「どう考えても『てんでんこ』と
    自主防災組織は矛盾する」。毎晩、避難所の運営スタッフと議論になるが、どうすれば犠牲を防げたか、
    まだ答えが出ない。

    ◇津波てんでんこ◇

    津波の時には親子といえども頼りにせず、てんでんばらばらに走って逃げよという意味。度重なる津波に
    見舞われてきた三陸地方で、家族や集落が全滅することを防ぐために言い伝えられてきた。

    (おわり)



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    1 名前:ラストボーイスカウト@空挺ラッコさん部隊ρ ★:2011/06/18(土) 20:22:14.34 ID:???0
    震災直後の被災地に海外から最も早く救助犬とともに駆けつけた
    韓国の救助隊。参加した隊員が複雑な胸の内を語りました。

     訓練に励んでいるのは、災害時に生存者を見つけることを任務
    としている韓国の災害救助犬です。国際基準を満たした「マニ」と
    「ペクトゥ」と呼ばれる2匹だけが海外で救助活動に参加できることに
    なっています。

     「嗅覚は人間の1万倍以上、聴覚は40倍、視覚は10倍。
    人のにおいを嗅げば、救助隊に向かってほえます」(救助隊 チュン・
    チャンユン隊長)

     マニとペクトゥが通常訓練を行なう場所へ案内してもらうと、そこには、
    がれきの山などが置かれていました。地震後の被災現場を想定した
    空間だといいます。

     震災翌日にマニとペクトゥは日本に到着しました。韓国から救助犬や
    救助隊が日本に入ったのは今回が初めてです。マニとペクトゥは、宮城県内の
    被災地で107人の隊員とともに10日間、捜索を行いました。18人の遺体を
    発見するなど活動は高い評価を受けたものの、救助隊員には複雑な思いが残ります。

     「救助犬が直接、生存者を救出することはできなかった」(中央119救助団
    イ・ドンソン団長)

     彼らが活動を要請されたのは、すでに日本側が捜索していた場所だった
    といいます。生存者のいる可能性の高い、まだ捜索の手が入っていない地域での
    救助活動を希望しましたが、断られました。
    ソース:http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4754226.html
    ※リンク先にニュース動画あり

    2 名前:ラストボーイスカウト@空挺ラッコさん部隊ρ ★:2011/06/18(土) 20:22:32.70 ID:???0
    >>1の続き
     同行していた宮城県警は、「要請があった場所は道路の状況が悪く、
    こちらとしては命令に従ってもらうしかなかった」といいます。

     「すべて日本政府の統制を受けなければいけない立場だった。だから私たち
    としては限界があった。残念な部分です」(中央119救助団 イ・ドンソン団長)

     先月行われた日中韓首脳会談では、大災害が起きた場合、3か国が協力体制を
    強化することで合意しました。災害発生国は救助隊や支援物資の受け入れを迅速かつ
    円滑に行うとしています。災害発生直後の混乱時に海外の力をどう生かすのか。
    今後の国際協力のあり方も問われています。(終わり)



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    1 名前:道民φ ★:2011/06/12(日) 03:26:50.42 ID:???0

    NHK、13年の大河は福島が舞台 新島襄の妻が主人公

      NHKは2013年に放送する大河ドラマの主人公を、
      福島県出身で、同志社大学を創設した新島襄の妻、新島八重(1845〜1932)にすることを決めた。
      東日本大震災で当初の予定を急きょ変更、震災関連プロジェクトの一環として、
      福島を舞台にした作品で「被災地を元気づけたい」としている。

      八重は、兵学をもって会津藩に仕えた家に生まれた。
      戊辰戦争では自ら銃を取って戦ったとの逸話を持ち、その豪傑ぶりから「幕末のジャンヌ・ダルク」とも呼ばれる。

      維新後は京都に移って教育に従事し、襄と結婚。日清・日露両戦争では自ら望んで看護師として働いた。

    朝日新聞 2011年6月12日3時0分
    http://www.asahi.com/showbiz/tv_radio/TKY201106110568.html



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    1 名前:ラストボーイスカウト@空挺ラッコさん部隊ρ ★:2011/05/15(日) 16:38:09.71 ID:???0
    東日本大震災以降、気象庁が発表した「緊急地震速報」は、地震発生から
    2カ月の11日に73回に達した。2007年10月の運用開始から大震災前までの
    3年余で出た17回の4倍以上。想定外の余震の多さに「外れ」が6割を超えており、
    抜本的な解決策も見いだせないのが実情だ。

     緊急地震速報は、地中を進む速度が速い初期微動(P波)を地震計で検知し、
    大きな揺れ(S波)の到達前に予想震度を自動計算。最大震度5弱以上と予想
    された場合、震度4以上と見込まれた地域を対象に発表する。

     大震災後の速報73回のうち、発表対象地域に実際の揺れが震度2以下の場所が
    含まれ、同庁が「不適切」としたのは64%の47回。うち対象地域全てで
    震度2以下しか観測されなかったケースは20回だった。震災前の「不適切」の割合は29%。

     ほぼ同時に起きた複数の地震を地震計が検知、システムが一つの地震とみなし
    大規模な地震と予測したのが主な原因で、開発段階では想定していなかったという。

     大震災前は、ほぼ同時にP波を検知した二つの地震計の間隔が350キロ以内なら
    一つの地震とみなし処理していたが、3月中旬以降は150キロ以内に狭めて運用。
    それでも4月中旬から福島県で地震が多発し始めると「不適切な速報」が続出した。

     気象庁は改善を目指し、11年度第1次補正予算にシステムの改修費1億円と、
    地震計40基の増設費2億4千万円を計上した。

    ソース:http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011051501000322.html



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    1 名前:ラストボーイスカウト@空挺ラッコさん部隊ρ ★:2011/05/14(土) 20:44:30.13 ID:???0
    悪夢の大地震発生から2か月、被災地のボランティアは余っているかと思いきや?
    ゴールデンウイーク前「被災地にボランティアが殺到する」として、受け入れを
    制限する被災地自治体が多かったが、GW終盤からボランティアが激減。関係者からは
    「週末だけでも来てほしい」と悲鳴に近い声が上がっている。

     震災で大きな被害が出た岩手、宮城、福島各県の災害ボランティアセンターによると、
    3県では4月29日からの大型連休中、延べ約7万8000人が活動した。ピーク時には
    1日当たり1万1000人に上ったが、最終日の8日には半分以下の約5000人に急減。

     8日以降に減った原因として考えられるのは、休みを利用して駆け付けた社会人や学生が
    一斉に引き揚げたことが考えられるが、GW中の5日からボランティアは減少傾向に
    あったという。その理由は、事前に「GW中のボランティアは間に合っています」と
    メディアで伝えられたことも大きい。しかし、実際は仮設住宅への引っ越し支援など
    力仕事を中心とした新たな需要が増しており、ボランティアは足りないのだ。

     また、震災から約2か月が経過し、個人負担の問題も無視できない。

     ボランティア経験者は「被災地に行く前に知人から『迷惑になるからやめろ』と散々言われた。
    迷惑にならないために食料も宿泊場所も用意してから行きました」と話す。ボランティアはすべて
    手弁当で準備する必要がある。よほどの覚悟がない限り、個人も団体も継続的な活動をするのは困難だ。

     このような状況下で出てきたのが政府が労働者を雇い、被災地で復旧活動をしてもらうという案だ。
    永田町関係者は「満足な数のボランティアがいることが前提の復興政策に無理が出てきた。
    政府で労働者を雇い、有志のボランティアがフォローするという形にできないか」と、
    ボランティア頼みでは行き詰ると指摘する。
    >>2以降に続く
    ソース:http://www.tokyo-sports.co.jp/hamidashi.php?hid=13647

    3 名前:ラストボーイスカウト@空挺ラッコさん部隊ρ ★:2011/05/14(土) 20:44:51.23 ID:???0
    >>1の続き
     一方で、「無償の人と有償の人が混在するのはよくない。個人に給料を出すのではなく、
    ボランティア団体に資金を出して使ってもらうのがいいのではないか」(自民党関係者)との意見もある。

     問題になるのは辻元清美ボランティア担当(51)だ。「GW後に人手が足らなくなることも
    予測できる。辻元氏には『これまで何をしていたんですか』と聞きたい」(同)。

     GW中、辻元氏は被災地を駆け回っていた。ツイッターでは「休み明けの体制作りを
    ボランティアセンターのみなさまと話し合う」とあるが、どんなアイデアが出てくるのか…。(終わり)



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